Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)
"King of Pop"!
アメリカ合衆国の歌手、シンガーソングライター、ダンサー。
1958-1970
10人兄弟姉妹の8番目(六男)として、インディアナ州ゲーリーのアフリカ系アメリカ人街に生まれる(すぐ上の兄マーロンの双子の兄弟が、誕生後すぐに死亡した)。ゲーリーは住民の8割以上をアフリカ系アメリカ人が占める、全米で最もアフリカ系アメリカ人の率が高い都市であり、また黒人たちにとっては最初の黒人市長が1967年に出た誇りの土地でもある。当時は黒人の自己主張が高まりだしていた頃で、金銭を多く持っていた白人がそこを去っていったため、街は一時的に無法状態が蔓延していた。
父のジョセフ・ジャクソンはUSスチール社の製鉄所の貧しいクレーン操縦士であった。母キャサリン・ジャクソンはエホバの証人の信者で、マイケル自身も同様であった。その活動の一環である家庭訪問は「Thriller」発売後も行っていた[要出典]。父親は厳しく、しばしば息子に手を上げた。財政的に厳しく、キャサリンは「シアーズ」などの小売店でパートタイムとして働く事で家計を何とか補おうとしていた。
父は「ファルコンズ」というR&Bバンドでギタリストをしていた過去を持ち、アーティストの道を諦めてからも当時のギターを大事にしまっていた。1955年に白黒テレビが壊れてしまった後は、演奏を披露することもしばしばあった。
ところが或る時、愛蔵のギターを息子たちが勝手にいじりまわして弾いていたのを発見し、初めはカンカンに怒ったものの、息子たちの演奏がなかなかうまいことに気がついた。「これはひょっとすると貧困から抜け出す手立てになるかもしれない」と思った父は、息子たちに歌とダンスの訓練を授けようと決意。ジャッキー、ティト、ジャーメインと従兄弟とされていた二人(実は他人)で1962年にボーカルグループを結成した。
翌年、マイケルは兄マーロンとともに二人の「従兄弟」と入れ替わりにグループに入る。マイケルは幼稚園時代から歌を歌っており、1962年には幼稚園で映画サウンド・オブ・ミュージックのエンディング曲「全ての山に登れ」を歌っていた。マイケルは当時5歳であったが、父の厳しい特訓を受け、兄弟バンド「Ripples & Waves Plus Michael(のち「the Jackson Brothers」と改名)」の一員として頭角を現した。
初めてナイトクラブで働いた時の収入はわずか8ドルであり、ほぼ無名の状態であったが、翌年くらいになるとタレントショーやスーパーマーケットのオープン記念に出演することで地道にではあるが徐々に名前が知られるようになっていった。
1965年には、地元ゲイリーのルーズベルト高校で行われたタレントコンテストでテンプテーションズの「マイ・ガール」を演奏し、見事優勝した。
1966年に4人の兄たちと「ジャクソン5」(ジャクソンファイブ)を結成。ゲーリーのナイトクラブ、ミスターラッキーでデビューする。1967年にはニューヨークのアポロ劇場にも進出し、大々的なタレントコンテストで優勝した。これによりジャクソン5はシカゴのリーガルなどの名門劇場に出演できるまで成長する。当時はまだまだ駆け出しであったため前座の出演であった。この過程でジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソン、サム&デイヴなど様々なスターのパフォーマンスを勉強した。
地元ではインディーズの「スティールタウン・レコード」からシングルを何枚か出しており、1968年1月には「ビッグ・ボーイ」でデビューしている。
当初ジャクソン5をインディアナ州で発掘したのは、聞こえがよかったのでダイアナ・ロスということになっていたが、実は、ボビー・テイラーがコンテストに優勝した彼らと競演した際に発掘、その後モータウンに紹介した。モータウンの創始者ベリー・ゴーディは、ロスでジャクソン5のオーディションビデオを見たとき、荒削りながら彼らにスターの資質を見出した。即刻、彼はモータウンの総力を上げプロモートを開始したのだが、その際にベリー・ゴーディがダイアナ・ロスにジャクソン5を紹介させるという経緯だった。
1968年7月にモータウンと正式に契約。1969年10月シングル「帰ってほしいの」(I want you back)でメジャーデビュー(マイケルは当初8歳の設定だったが実際には11歳だった)。リードボーカルとして天才児ぶりを発揮し、何とメジャーデビュー作であるにもかかわらずヒットチャート全米1位にまで上り詰めた。幼く可憐な感じでありながらビブラートが掛った声がファンを惹きつけた。その次のシングル「ABC」の相手はビートルズの「レット・イット・ビー」であったが、首位の座から引き摺り下ろし見事1位を獲得。続く「小さな経験」(The Love You Save)「I'll Be There」も1位となり、デビューから4曲連続で全米チャート1位に送り込むという快挙をなし遂げた。
金銭感覚
2004年のニューヨークタイムズ紙によるとマイケル・ジャクソンの1ヶ月の生活費は2億円で、おもちゃ好きで知られるマイケルはおもちゃ代だけで1ヶ月に3000万円を費やしていた。さらに身の回りの世話をするスタッフも数多く、1989年のBAD TOURでは「マイケル専属世話人」として医者、歯科医、のどの専門医、ネイルアーティスト、足治療の専門医、マッサージ師、ヘアメイク、秘書2人、コック、その他身の回りの世話をする人が7人など約20人以上が世話人としていて、その費用は1ヶ月に4000万円に上った。
ガット・トゥ・ビー・ゼア - Got to Be There
『ガット・トゥ・ビー・ゼア』(Got to Be There)は、ジャクソン・ファイブの人気絶頂期の1971年に発表されたマイケル・ジャクソンのソロ・デビュー作。初々しさの残る変声期前の伸びやかなテノールを聴くことが出来る。モータウンの期待を一身に集めていたマイケル・ジャクソンはストリングスやコーラスを惜しみなく活用している。全米ポップ・アルバム・チャートで14位、ブラック・アルバム・チャートで3位を記録している。
<収録曲>
1. エイント・ノー・サンシャイン - Ain't No Sunshine
2. ボクはキミのマスコット - I Wanna Be Where You Are
3. ガール・ドント・テイク・ユア・ラヴ - Girl Don't Take Your Love From Me
4. 二人の道 - In Our Small Way
5. ガット・トゥ・ビー・ゼア - Got to Be There
6. ロッキン・ロビン - Rockin' Robin
7. 愛の鳥 - Wings of My Love
8. マリア - Maria (You Were the Only One)
9. 恋ははかなく - Love Is Here and Now You're Gone
10. きみの友達 - You've Got a Friend